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関ヶ原へいざ出陣!― 刀装具に秘められた戦国武将の精神性

更新日:3 日前


彦根城や竹生島に続き、刀装具に関連する歴史的な名所を訪れる、侍の旅をお届けします。今回の旅は、桃山時代の武士道を色濃く残す「侍の旅③関ヶ原」同盟を結んだ大名の生き様と友情から解く、武家文化の美しさと刀装具に秘められた戦国武将の精神性を合わせてお届けします。



岐阜関ヶ原古戦場記念館


関ヶ原の合戦 東軍・徳川家康と西軍・石田光成


全国統一を成し遂げて、関白となった豊臣秀吉は、慶長3年8月、61歳で病に果てました。豊臣政権の運営は五大老:徳川家康・毛利輝元・前田利家・宇喜田秀家・上杉景勝と、五奉行:浅野長政・石田三成・増田長盛・長束正家・前田玄以に託されていました。慶長4年(1599)、良き理解者である前田利家が死去します。以後、豊臣政権は二つに別れることになります。

 

「甲子夜話」に書かれた「泣かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」徳川家康の人となりをずばり表現した和歌です。豊臣秀吉政権の最中は、とにかく冷静に自分の立ち位置を理解し、秀吉の最期を静かに、そして戦略的に待ち望んでいたことがわかります。人の心境を将棋の駒のように、読み解くことに優れていたように思います。

 

岐阜関ヶ原古戦場記念館では、東軍と西軍に加わった武将の人間関係が解説されていて、とても興味深く拝見しました。全面ガラス張りの展望室では、戦場跡が365度見渡せるようになっています。戦場の中心となった関ヶ原の盆地は、標高約120〜130mだそうです。東軍・西軍の陣営がどこで、どのように合戦に備えたのか、両軍の武将の鼓動が聞こえてくるような気がしました。この施設では、関ヶ原の合戦のムービーが観賞でき、参戦した武将の陣営や史跡を巡るハイキングや、サイクリングコースなどの地図も提供しています。

 

東軍:徳川家康・井伊直政・本多忠勝・福島正則・細川忠興・田中吉政・黒田長政・加藤清正・藤堂高虎・伊達政宗・浅野幸長ほか約7万人が参戦しました。

 

西軍:石田三成・毛利輝元・宇喜田秀家・大谷吉継・小西行長・島津義弘・安国寺恵瓊・島左近ほか約8万人が参戦しました。


徳川家康最後の陣地跡

関ヶ原

 

岐阜関ヶ原古戦場記念館 展望台からの関ヶ原古戦場
岐阜関ヶ原古戦場記念館 展望台からの関ヶ原古戦場
岐阜関ヶ原古戦場記念館 展望台からの風景

床几場
床几場


豊臣秀吉は「政略結婚は禁止とする。」という内容の遺言を残しました。確かに、「結婚」は両家が親戚となる一つの方法ではあります。この遺言を破って、徳川家康は自身の養女満天姫を福島正則の養子に嫁がせたりするなどして、勢力を増しました。


ここで、ふと気になったのは、宗教観はどうでしょうか?同じ宗教を信仰していたならば、互いを家族や友人以上の存在として大切にするのはあたりまえのことです。ましてや、その時代のキリシタンであったら、なおさらです。



桃山時代の名工と大名との関係


なぜ、これほどまでに、鐔界の三作の一人である「信家」(放れ銘と太字銘)にはキリシタン関連の図が多いのでしょうか?例えば、薔薇の花や十字架などの図です。薔薇の花には、興味深い意味が込められています。伊藤満の著作である「信家」には、「ロザリオと呼ばれる珠と十字架が付いた祈りのための道具は、ラテン語のrosariumに由来しており、薔薇の冠を意味する。」と書かれています。日本にキリスト教が伝来したのは、天文19年(1550)頃ですから、製作年代はそれ以降と考えるのが自然です。信家が製作をしていたと考えられる地域を、先人が紐解いているので紹介したいです。勝谷俊一氏が昭和33年から34年までに「刀剣美術」に発表された「信家の新研究」には、信家、法安や山吉の作品に共通点があることに着目しています。そして、清洲にはキリシタンの教会や宣教師の住宅があったことから、信家が清洲在住であったのではないかと述べられています。


伊藤満の著書「信家」より一部抜粋して、法安と山吉が清洲出身であることを明確にし、大名との関係を考えてみたいです。


・「三代目の山吉には「尾州住」の添銘がある作品があります。

・「芸藩通史に川口三郎右衛門法安が清洲で生まれ、鍛治を業とす」とあること、そして、「藩家甲斐にいたときに召され俸を給はる」と書かれています。


同じ宗教観を共有した大名 田中吉政・福島正則・浅野幸長と清洲の関係はどうだったのでしょうか?


田中吉政は、パルトロメヨという洗礼名まで授かったキリシタン大名でした。豊臣秀次の附家老のような存在であった吉政は、秀次に変わって、尾張清洲城代として、清洲を治めていました。実質、天正18年(1590)から関ヶ原の戦いまで、三河岡崎城主でもあったわけですから、彼の影響はとても大きかったと考えられ、放れ銘と太字銘の両方にキリシタン関連の図があるのは、そのせいです。


福島正則は武断派の武将であり、文禄4年(1595)秀次が高野山で自害した後から、清洲は正則が納め、キリシタン保護政策をしていました。関ヶ原合戦の功績で、芸州広島藩50万石の大名となり、慶長6年(1601)清洲から芸州へ移りました。


浅野幸長もキリシタン大名で、関ヶ原の本戦に参加することはありませんでしたが、武断派とされていました。この戦い以降も、福島正則とは、京都に渡り天皇の護衛を共にしたりして、武断派の仲間として以上に、関係は親しかったのでしょう。そして、幸長は甲州甲斐国から紀州へ移りました。


信家 著者:伊藤満
信家 著者:伊藤満

 


法安と信家の作品を観てみましょう。


この夕顔棚図鐔は、初代法安の作品です。長丸形で、角耳小肉にして、やや中高の切羽台にしています。鉄味の良い平地は、図柄になる部分に漆を置いて、腐らかしの技法が使われています。その後、尖った印象やエッジを丸い雰囲気にするために、軽く焼手がかけられています。そのため、動きを感じる豊かな肉置になっています。これは、典型的な法安の手法で、放れ銘信家にも見られます。初代法安は清洲で製作をはじめ、芸藩通史には、「藩家甲斐にいたときに召され俸を給はる」とあることから、浅野家に抱えられ、関ヶ原以降は、幸長に仕えて紀州へ移動しました。岡本保和氏の著書である「尾張と三河の鐔工」に、法安系譜が書かれています。それには、「初代法安は紀州和歌山に於て、慶長18年5月歿とあります。」



初代法安鐔

初代法安鐔


この算木透鐔は、太字銘信家の作品です。やや食い込みの強い木瓜形で、角耳小肉にしてそこから切羽台に向けて肉を落としています。平地は槌目で仕上げ、透かしを施してから焼き手をかけ、最後に阿弥陀鑢を突いています。透かしは算木と土台でしょうか。それを避けて阿弥陀鑢をかけていることから、この透かしは当初からのものであることがわかります。鉄骨や槌目と焼き手による平地の変化は見所が多くあります。このように、打ち返し耳にしていない太字銘の鐔は珍しいです。大きさもあり、無櫃で鉄味も良く、保存状態も完璧で太字銘信家の名作です。

 

太字銘信家には、「三信家」、新発見の「三州信家」、「芸州住信家」や「芸州住藤原信家」があります。「三州信家」の発見に伴い「三信家」は三河を現していることがわかったことが書籍「信家」に書かれています。清洲から岡崎に移動したこと、芸州銘は岡崎から広島へ移動して製作拠点が変わったことを表しているそうです。ならば、どの大名に抱えられたかも謎が解けます。


太字銘信家

太字銘信家


プチ鑑定ポイント♡


初代法安:

信家や山吉と同じ尾張に居て、切磋琢磨して、個性を磨いていったものと思われます。特に法安は、酸を使った「腐らかし」と火に入れる「焼き手」の両方を使った技法が特徴的です。また、多くの作品は銘を裏側に切っているのも、信家や山吉とは違っています。


信家:

まずは、銘を検証する前に、作風はどうでしょうか?誰しも、流行には影響されます。放れ銘信家と太字銘信家の両方に、キリシタンの図があります。彼らの銘は、それぞれ特徴的です。伊藤満の著書「信家」頁40〜45では、太字銘には「三信家」「三州信家」「芸州住信家」や「芸州住藤原信家」があり、時代と、文化的な流行を踏まえて、それぞれの生没年を検証しています。銘の変遷と特徴は頁45〜47に書かれています。実際の作品と比べてみたい場合は頁35〜38に戻ってみてください。もちろん、本文は最初から読んでいただく方が、研究の意図を読み解けるので、オススメしますが、今回はプチ鑑定ということで♡



まだ新刊「信家」をお持ちでない方々へ


関ヶ原の戦いからも感じる、目まぐるしく変化した桃山江戸初期の歴史と文化を背景に、放れ銘と太字銘の特徴や銘の変遷、それぞれの美意識を解説することで、信家研究の新たな方向性を提案しています。もちろん鑑定ポイントも盛りだくさんに含まれています。12月31日まで、発刊を祝って特別価格でご提供しています。愛読書にしていただけましたら幸いです。

 

書名:『信家』

著者:伊藤 満

発行:ギャラリー陽々

発売日:2025年10月1日

販売価格:27,500円→26,000円(2025年12月31日)まで。

英語訳 販売価格:17,500円→15,000円(2025年12月31日)まで。









結びに


関ヶ原の合戦には、さまざまな武将の人間関係や人生が大きく変化したことを物語っています。そのほんの少しから、信家と法安に秘めた戦国武将の精神性を考えてみました。次回は「浪華小道具研究会主催の講演会:肥後金工の魅力とは?by 伊藤満」をお届けします。Until then Stay tosogu & sword minded : )



参考:

徳川家康 将軍家蔵書からみるその生涯 関ヶ原の戦い 国立公文書館

尾張と三河の鐔工 岡本保和

信家 伊藤満

中学社会歴史・教育出版


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