鉢木図に秘められた主君への思い
- gallery陽々youyou

- 2月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2月26日
透鐔の意匠には、美しい意味や思いが秘められています。それは、ときには、古今和歌集や伊勢物語などの古典文学にちなんでいますが、鉢木図は、ある、忠義な武士にまつわる話に由来しています。本日は、「鉢木図に秘めた武士の思い」に迫ります。
鉢木図鐔に込めた侍の思い
雪輪、桜花、梅樹に松の図の鐔は、「鉢木図」と呼ばれており、肥後鐔の図にあります。この図は、神吉深信か楽寿によって描かれた「神吉鐔絵本」に載っています。赤坂鐔にも、この鉢木図は表現されています。それは、肥後金工の作品が大流行したことで、江戸の赤坂四代忠時以降から鉢木、梅樹、遠見松など、肥後鐔のデザインを写した透鐔が作られています。


このデザインのアイデアの元となったのは、「鉢木」と呼ばれる物語です。
「今からおおよそ700年ぐらい前の鎌倉時代、時の執権北条時頼が、出家姿に身をやつして諸国巡歴の折に、山本の里(現在:佐野の里という)にさしかかり、大雪にあい貧しい農家に一夜の宿を求めました。宿の主人は、一族の者に領地を奪われて、この地に至り農業で暮らしている佐野源左衛門常世という武士でした。落ちぶれた身の上を語るうちに、いろりの薪が尽きて火が消えかかろうとしている時、継ぎ足す薪がないので、常世は自慢のみごとな梅・桜・松の鉢の木をくべて、この旅僧に暖を取らせて精一杯もてなし、今はこのように落ちぶれてはいるが、鎧と刀と馬は大切にしていて、一旦鎌倉から号令がかれば、いち早く駆け付け、命を懸けで戦う決意を語りました。その後、突然、鎌倉から諸国の軍勢に号令の触れが出ると、常世は大切に残しておいた古鎧を身にまとい、刀を手にし、痩せ馬にむち打って、いち早く馳せ参じたのです。すると、常世は北条時頼の御前に呼び出され、時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの私である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う。」と言い、常世の忠節を賞し奪われた本領を旧に復し、さらに薪にした鉢の木にちなんで三箇所の庄園、加賀の梅田、上野の松井田、越中の桜井を与えました。そして、常世は面目をほどこして山本の里へ帰った」というお話です。

初代勘四郎の鉢木透鐔は、全体の菊形、透かしや、梅松桜の形も柔らかく、毛彫りの線も即興的な感覚で施されていて、暖かみがあります。小柄櫃は雪輪にして、笄櫃は梅樹にしていてオシャレです。又平の鉢木図の鐔は、丸形に内側を雪に見立てています。きちっとシャープな梅松桜の形に、又平特有の深めの毛彫りが施されています。両櫃穴を形の違った雪輪にしています。笄櫃の上にある梅の花弁を三枚にして、まるで雪の中に咲く美しい梅を思わせます。

雪輪がない、桜、梅と松の図は、時には菅原図と呼ばれていますが、私としては、腑に落ちないところがあります。それは、歌舞伎の演目にもなっている菅原伝授手習鑑は兄弟が敵味方で争う悲しい物語で、武士の精神を象徴するものとはかけ離れているからです。そのような物語の鐔を侍が好んで身につけるでしょうか?教養のある武士なら、雪輪が無くとも、「桜梅松」の図を見れば、優しい心から、大切にしていた自慢の鉢の木を薪にして旅僧をもてなし、偽りのない行動と主君への忠誠心が認められて、領地を安堵された佐野源左衛門常世の話を連想すると思います。
いざ佐野源左衛門常世の眠る 願成寺へ
鉢木物語の主人公となった佐野源左衛門常世が眠る、栃木県佐野市鉢木町にある願成寺を訪ねました。天候にも恵まれ、神秘的な姿の妙義山が美しく見えました。道中、食いしん坊の私たちは、横川サービスエリアで発売から60年以上、益子焼の土釜に伝統的な味が引き継がれている荻野屋名物の「峠の釜飯」を堪能しました。



この先に、本当にお寺があるのだろうか?と心配になるほど細い道を抜けると、願成寺がありました。「佐野源左衛門常世の墓はこちら」の案内板に従って、階段を登ると、ひっそりとお墓が佇んでいました。






武士道の原点である佐野源左衛門常世を近くに感じることができました。
結びに
刀装具にはさまざまな図の作品があります。得に、透鐔には、武士の忠誠心や願いが、語らずして表現されています。鉢木図には武士の主君への忠義の心が込められています。この図の鐔を拵に付けた家臣を見た主君は、さぞかし心を打たれたに違いありません。
次回は「都鳥」をお届けします。Until then, stay tosogu & sword minded ♡
参考:
神吉鐔絵本
荻野屋
佐野市仏教会・願成寺
能.com 鉢木
歌舞伎用語案内 菅原伝授手習鑑
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